東京朝倉同窓会

関東近辺に在住する福岡県立朝倉高等学校のOB・OGのサイト

第40回 同窓会総会・懇親会 当番幹事より

42 回生当番幹事代表 河原 成孝

最初はどうなることやらと心配することしきりでした。

まずは東京在住者の名簿を取り寄せることから作業が始まりました。東京在住の同期生は 30 数名。一人ずつ電話やメールで所在を確認。とりあえず同期会がてら 6 名が集まりました。二十数年ぶりの話に花が咲き、あっと言う間(同期生の魔力 !?)で頻繁に連絡を取り合うようになり本格的にスタートしました。

役割分担が決まり、定期的に集まりながらプランを組み立てて行きました。

41 回生先輩からの引継書で総会までの流れが良くわかりプランニングもスムーズでした。早くも先輩方の力、縦のつながりの大事な部分を経験したのです。

懇親会では、当番幹事が趣向を凝らした企画を披露します。今年はどうしたものかと頭を悩ませましたが、平成 29 年 7 月の朝倉水害について現状を伝えられないかと思い、本校在校生が制作したビデオの紹介、被災地現状撮影映像を制作することにしました。また、新校舎となった朝倉高校の映像も制作することとし、こうして「承前敬語」を掲げて当日を迎えたのでした。

12 名の同級生と総会のお手伝い懇親会の進行などを担当させていただきましたが、うまくいったのかどうか正直判断できません(笑)

諸先輩方のお力を借りながら、なんとか終えることができたと言う安堵の気持ちだけでした。この経験は、普段の仕事でも味わうことのない素晴らしいもので、40 年積み上げられてきた諸先輩方に改めて敬意を表したいと思っています。本当にありがとうございました。

安陪 夏樹(42 回生)

2017 年の暮れ、当番幹事の打ち合わせと忘年会を兼ねて集合した時に東京朝倉同窓会の 40 周年の節目であることを知りました。

同期生一同が大役であることを理解すると共に 41 回生が残してくれたレジュメを参考として、大まかな進行を確認、月に 1 度のミーティングを開催し、テーマ決め、そして節目となる年の余興を何にするか、から事を始めました。共に何かを行うことは実に 29年振りで不安がありましたが、河原君を筆頭にアイデアを出し合い、テーマと余興、役割も決まり、後はその出番を待つのみ、「やるしかない!きっとやれる」と言い聞かせながら。節目の年ということもあり多くの卒業生に参加いただき総会終了、さぁ、懇親会が始まりましたが始まる前の心配は全て杞憂でした。無事に大役を終え、ホッとしました。そのあと、大勢の先輩たちに声をかけていただき、東京朝倉同窓会の当番幹事を果たせたことの実感が湧き世代を超えた繋がりを強く感じました。当番幹事がきっかけとなった初めての参加でしたが、これからはこの繋がりの輪の中に参加するぞと強く思える体験でした。

林田 匡史(42 回生)

卒業してはや 28 年。これまで一度も参加した事のない私ですが当番幹事として同期生集めに奔走していた河原君の声掛けにより集い、回を重ねる毎に増えていく同期生、当日には 10 人以上も集まりました。クラスも違い、話すらした事がなくても、同じ時間を同じ場所で過ごして来たという共通事項がお互いの距離を一瞬で縮めます。企画~準備~当日の運営まで、41 回生の先輩方のサポートもあり、無事に総会懇親会を終える事が出来たと思います。

当日では、恩師・先輩や後輩との再会もあり、とても感慨深いものでした。このような経験はなかなか味わう事がなく、満足感・達成感は、なんとも心地良かった事を如実に覚えています。

承前啓後(しょうぜんけいご)、昔からのものを受け継ぎ未来を切り開く。

平成最後の東京朝倉同窓会はそんな想いを紡ぎ、次の新しい時代へ繋がっていく事を願っております。東京朝倉同窓会に携わる全ての朝高諸先輩の皆様、このような機会を本当に有難うございました。