第23回 お江戸さるき会
5月25日(土)、世田谷線「宮の坂駅」にある保存車両601号(平成2年に江ノ電から来た)の中での待ち合わせ。 これまでにない洒落た待ち合わせ!?で総勢17名。約1年ぶりに参加してくれた彩香ちゃんは随分と背が伸びていた。 初参加は40回生の北原君。
「今日は暑いからこれで解散しましょうか」など冗談言いながらすぐそばの「世田谷八幡宮」へ。
「今日は暑いからこれで解散しましょうか」など冗談言いながらすぐそばの「世田谷八幡宮」へ。
2000体以上のまねぎねこは圧巻。大願成就した人々がここに奉納する。猫をここに返してあげることでさらにご利益があるという。新年1月がその最多で2000体ははるかに超える。(みんな同じ顔!!社務所にあるお値段はサイズ次第)
山号「大谿山(だいけいざん)」曹洞宗。1633年世田谷が彦根藩領となり、井伊家の江戸の菩提寺とし、藩主井伊直孝の法号「昌院殿豪徳天栄大居士」から豪徳寺と改号。
直孝が狩りの途中でここの猫「たま」に誘われて休憩したが故に雷雨から救われた、ということから「招き猫」ここでは”まねぎねこ”。右手をあげて招福。三重塔に2か所にもいます。ニャンコが。
☝この山門は関東大震災で倒壊後、昭和初期に再建されたもの。
☝直弼の墓(都史跡指定)
「宗観院殿正四位上前羽林中郎将柳暁覚翁大居士」。正四位上(しょうしいのじょう)前(さきの)羽林中郎将は最終的官位。「宗観院殿柳暁覚翁大居士」が戒名。
彦根藩主井伊家墓所(2008年国史跡に指定)
2代藩主直孝、13代藩主直弼など6人の藩主と江戸で暮らした正室、側室、子息子女が埋葬。
ここで少しばかり休憩
桂 太郎/ 長州藩士、陸軍大将、政治家(首相)、拓殖大学創立者初代校長
この傍で出会うのが☟ 松陰神社
安政の大獄(1858~1859)、命令したのは先ほどお邪魔した豪徳寺の井伊直弼。尊王攘夷の思想をもっていた松陰は1859年11月21日斬刑される。満29歳。門下生たちの手によって長州藩の下屋敷だったここに埋葬した。
その墓は意外に小さなもの。
環七唯一の鉄道踏切「若林踏切」。世田谷線の踏切だが①遮断機なし②道路に一時停止標識なし③踏切手前で電車が一時停車し信号を変えてから道路を通過。
万葉の小径と呼ばれる烏山川緑道へ入り、前方に三軒茶屋のシンボル「キャロットタワー」を眺めつつ。
東京五色不動のひとつ「目青不動」を目指す。暑い・・・。
☆五色不動(五不動)・・五行思想の五色(白、黒、赤、青、黄)にまつわる名称や伝説をもつ不動尊。
東京は目黒不動(下目黒瀧泉寺)、目白不動(高田金乗寺)、目赤不動(本駒込南谷寺)、目青不動、目黄不動(三ノ輪永久寺・平井最勝寺)の5種6個所。
最勝寺(通称教学院:竹園山最勝寺教学院)、目青不動尊到着
1908年に青山から移転。相州小田原城主大久保家の歴代の墓がある。
ここにも「閻魔様」がいらっしゃいました!
☝世田谷名木百選のチシャノキ。びわの実がたわわに。
ここまで来ると皆さんの思いは・・・
5月というのにまさかの暑さ。がしかし、全員無事にゴールして冷たいドリンクの美味さが笑顔をつくる。
幹事としてもホッとする瞬間でもある。
今月のおまけ
さて、おかげさまで「お江戸さるき会」も6月で2周年目です。
毎回、楽しく賑やかに知っているところも知らないところも有意義にさるいてくることができました。
もちろん「傷害保険」にも加入していますがなにひとつ問題なく無事に過ごせたことを感謝いたします。
今後も同様、継続していきたいと願います。皆さまの温かいご協力ご支援をお願いいたします。
さぁ、6月は22日、世田谷、寺町の千歳烏山をさるきます。天候不順の季節ではありますが元気に参りましょう!
(文責:橋本)