第28回 お江戸さるき会
今回のお江戸さるき会は井の頭線沿いの「永福町」界隈です。
10月26日、前日の大雨から一転、気温も25℃という秋晴れに24名、6キロ弱を
さるきました。
西永福駅に集合、初参加は2名、小学生の彩香ちゃんは3度目の参加です。
商店街を抜けて井の頭通りを過る。すぐに方南通りに出て右折すると左手に大きな赤い鳥居あり。
都内神社の広さでは明治神宮、靖国神社に次ぐ。「大きな宮」ということで武蔵国三大宮(大宮八幡宮、埼玉大宮氷川神社、秩父神社)の一つ。
1063年、源頼義創建。主祭神は応神天皇とその両親(仲哀天皇、神功皇后)の綾子三神。
たまたま、祝い着に被布コートを羽織る双子の3歳児とその家族の写真撮影に遭遇。
可愛い!!と我らも見とれてしまった。
向き合ってのご神木「夫婦銀杏」。復縁、縁結びのパワースポットだとか。
来月末には「黄色い絨毯」と出会えそう。
大鳥居まで250m続く石畳参道。
さぁ、のんびりした後は善福寺川沿いから和田掘公園に入り大宮遺跡。
訪れるカワセミを撮ろうとカメラマンが多数。昨日の雨で足元はかなり悪い。
松の木遺跡。古墳時代の住居と復原住居。
杉並区立郷土博物館。入館料100円。シニア割りなし。
館裏手にある古民家。大きな竃や調理器具あり。
囲炉裏でくつろぐ!!
庭にある懐かしのポストと白雲木
☆白雲木⇒エゴノキ科でエゴノキより大きい白い花をつける。5~6月。
☆愛新覚羅溥儀(アイシンギョロフギ)⇒清朝ラストエンペラー。
☆愛新覚羅浩(アイシンギョロヒロ)⇒溥儀の実弟溥傑の妻。公家華族の嵯峨家長女として女子学習院を卒業後、日本と満州の親善の架け橋としての政略結婚。
嵯峨侯爵邸(現杉並区立郷土博物館所在地)から結婚式場軍人会館(現九段会館)まで、自動車長蛇の列だったと。(当時自動車なんぞめずらしい)「おすべらかし」姿で実家の門をあとにされた。(著:流転の王妃)
この白雲木は結婚の時に大正天皇の貞明皇后から「日中を繋ぐ新しい命の花を咲せてほしい」と赤坂御所に咲く白雲木の3粒の種が贈られたのだそうだ。
今も千葉の溥傑夫妻の旧邸(現ゆかりの家)の庭に咲くという。
何の行列!? え!?消防車まで!?
違います。赤い自動車はたまたま通ったので。「鞍掛の松」はあちこちあるようだが(和菓子の名にも)
ここは平安時代の武将・源義家(1039~1106)が奥州遠征の折にこの松の枝に馬の鞍を掛けたという伝承に由来。松は代替わりをしている。
☚無電柱。すっきり!
大圓寺(曹洞宗)。家康が赤坂溜池に創建したものを明治41年にここへ移転。島津家の江戸菩提寺。葵のご紋の下に丸に十の字のご紋が。
落ちた銀杏の実のにおいがきつかった。
☟鎌倉時代1264~1275)創建の和泉貴船神社(和泉熊野神社のケ境外末社)。
当時はどんな時にでも涸れることのなかった”御手洗の小池(湧水)”は地名・和泉の発祥。
え!?消防車まで!?
今は・・・涸れている・・。
↓ちょつとした森のような、ヒヤッとした空気の流れを感じるここは、
和泉熊野神社→総本社は和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)のひとつ。鎌倉時代に熊野本宮大社の分霊を祀ったのがはじまり。現在の社殿は江戸時代後期に建てられ明治4年に修復されたもの。
家光が鷹狩の途中に植えたという黒松がご神木とされている。かなりの高さにそびえる、
凛とした黒松に圧倒された。
お向かいの龍光寺↓(真言宗)1172年創建
☟本堂 ☟山門
☟ 江戸時代末期の鐘楼 ☟土日祝公開の霊場
井之頭池にすんでいた巨大龍がここのすぐ下を流れる神田川を下ってきてこの付近で雷鳴を轟かせ光を放って昇天したことに由来。
ここから最後の永福寺(曹洞宗)を目指します。
山門 ↓
この山門のところにある、なんと読むのかな。
「禁葷酒」・・「きんくんしゅ」。
葷とは①からい菜、臭い菜(にら、にんにく、ネギなど)
②生臭いもの
③酒
つまり、酒の匂いをさせて山門を潜るべからず、という意味だそうです。
漢語では「葷酒 山門に入るべからず」と読むそうです。
そしてこの山門の石を戒壇石と言うそうです。おもに禅寺だそうです。
(ええこっちゃ💛)
まだ新しい乳鋲。 ☝本堂
永福町という地名の由来の寺。1522年開創、秀天慶実開山。本尊十一面観音像。
小田原落城後、北条の家臣、安藤兵部丞が住職を頼ってこの地に帰農、檀家となって村の開発につとめた。
ということで本日はここで終了。
もちろん、このあとのランチは毎度のとおりでした(笑)
<おまけ>
誰かさんが食べ損ねた・・
金木犀
永福町駅の屋上庭園からからの眺望
そして夕暮れ・・
来月は11/23、中野の哲学堂界隈をさるきます。(文責、編集:橋本)