第24回 お江戸さるき会
6月22日(土)、梅雨空の下で集合22名、「寺、寺、寺」をさるきました。
準特急も停まります(12分)。が、皆さん「初めて降りたよ」。
世田谷の小京都とも呼ばれる北烏山です。
全員揃ったところで雨粒が落ち始めましたが「決行」です。
先ずは多聞院(真言宗豊山派)
石造りの涅槃図の前で
☆奈良の壺坂寺より先々代の住職時に寄贈。壺坂寺には救ライ活動に感謝してインドから高さ20m、重さ1200tのの大観音石像が贈られている。この石造涅槃図は先々代の住職のために壺坂寺がインド政府に依頼したものだとか。
幸龍寺(日蓮宗)
家康の祖母正心院殿日幸の帰依により開山。浜松から湯島、のちに浅草へ移転し関東大震災で焼失。
昭和2年にここへ移転。
☝ 山門 ☝ 山門の扁額
☚加藤清正公を祀る清正公堂
☟本堂 ☟さざれ石(湯島天神にもありましたね)
何て読むのでしょう!?
稱往院(称往院→しょうおういん)
浄土宗の寺。1596年に湯島に創建、明暦の大火で浅草へ移転。寺中にあった道光庵(信州出)の蕎麦が大人気。現在、蕎麦屋の屋号に「庵」がつく謂れとか。あまりの人気に住職が怒り蕎麦を当院から「蕎麦禁制」の碑を山門前に建てたという。
宗福寺(浄土宗)
妙祐寺(浄土真宗本願寺派)
下見時の画像です。
1286年、一遍上人が草創。後、廃絶した当寺を了頓法師が1625年渋谷村宮益坂に建立。
地下鉄銀座線開通にあたり昭和11年に一部を移転、さらに戦火で一切を焼失、昭和21年から27年に寺院移転完了。
築地本願寺と同系。皆さんで「仏塔の溝?がいくつあるか」などという疑問は解明されず・・・。
永龍寺(法華経)
☝わかりますか。屋根がふっくら丸みを❣❣ 「むくり屋根」といって低姿勢、丁寧という
思表現の日本独自の屋根建築様式だとか。(桂離宮に代表される)
☟ 本覚山妙壽寺(法華宗)
北烏山で最古の寺
☝客殿/鍋島家の旧住宅(2008年世田谷区指定有形文化財)。通常非公開。
戸袋の厚みに驚き!
1719年鋳造。関東大震災で破損。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩碑があり、手帳に書いた訂正文字や書き加えた文字もそのままに刻まれている。
(残念ながら画像なし)
本堂の前で。
高源院(臨済宗大徳寺派)
久留米藩第4藩主有馬頼元開基。1939年に移転完了。この26寺院の中の、駅から寺院通りの一番奥に位置。
1604年から専光和尚により開山。品川、馬喰町と移転し明暦の大火、関東大震災などにより昭和2年ここに移転するも
1945年5月25日夜半からの都内最後の空襲にて全焼。1958年に再建。
浅草にあった頃からの「北川家」の菩提寺。9月20日の歌麿命日には今も供養。
「刑事コロンボ」の吹き替え声優、小池朝雄の墓もあり。
ビョウヤナギ(未央柳) バラ シロバナネムノキ
など観賞しつつの、静寂な小径を抜けると・・・
常福寺(法華宗)
先月の豪徳寺の「まねぎ猫」に代わって大小200あまりの「タヌキ」がお出迎え。
(由来は単に和尚が好きで集めたとか)
福徳円満の象徴。
今回 不覚にもここで初めての「トイレ休憩」となりました。法要中の本殿のトイレをお借りすることに!!
☟ 数十歩先の西蓮寺(真宗大谷派)/下見時の画像
さぁ、ここで「寺、寺、寺」の終盤
江戸桜田(1597年)→虎ノ門→三田(慶応三田校舎前)→烏山(昭和14年)
めずらしい、築地塀の山門の前に「やまない雨はないというけれど、私は今の雨をあびていたい」ということばの掲示板。
雨=痛み、悲しみ
「享楽は一瞬、痛み一生。ならば、生きている大地を感じて阿弥陀如来と共に今の雨を感じていたい」てな意味らしい。
深い、というか、難しかぁ!!
見事な赤松。新芽が芽吹いたこの季節だが、大先輩から「この松の手入れはな」とていれのレクチャーをいただきました。
その他に ☟
モントプレチア(姫檜扇水仙/ひめひおうずいせん)。
アヤメ科春植え球根
以上で 都合11か所を巡りました。
西蓮寺の掲示板とはまた違い、現実の雨は降ったり止んだりではありました。
中央フリーウェイの下を通過して一路、スタート時の「千歳烏山駅」へ歩を進めます。
さて、どこへ行きついたか・・・。