東京朝倉同窓会

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「秋月藩の偉人・緒方春朔と上杉鷹山」について

 現在、我が国のみならず全世界がコロナ禍で大変な状況ですが、近代免疫学の父と呼ばれる英国医師ジェンナーが牛痘種痘を実施した1796年より6年早く、患者のかさぶたで免疫をつくる人痘種痘法を、日本で最初に実施成功させた「緒方春朔」、および江戸時代屈指の名君であり、ケネディ大統領が最も尊敬する日本人として名を挙げた、米沢藩主「上杉鷹山」は、共に秋月藩出身であります。

緒方春朔 (秋月藩医1748-1810)

 緒方春朔は、医者を志し長崎で勉強に励んだ後に、第8代秋月藩主黒田長舒(ながのぶ)によって藩医に迎えられ、当時最も恐れられた天然痘予防の為、永年種痘の研究に没頭し、実施目途がついた時、かねてから、春朔を尊敬していた上秋月の大庄屋天野甚左衛門が自ら進んで自分の二児を実験台に使うように申し出て、1790年2月14日に人痘種痘を実施し成功しました。

 この時代、医術は秘伝でしたが、藩主黒田長舒は全国に広げるように支援し、春朔は自ら開発した人痘種痘法について本を書き、教えを請う全国の医師に積極的に教授して、ジェンナーの牛痘種痘法が日本に導入されてくるまでの約60年間、我が国の天然痘予防に貢献しました。

 この人痘種痘の成功は、藩医・藩主・篤志家の心が一つになった偉大な功績であり、その後の我が国の医学の進歩に大きく寄与したのです。

上杉鷹山 (米沢藩主1751-1822)

 1587年、豊臣秀吉の島津征伐に、秋月藩主秋月種実は島津方に味方し敗北、日向国高鍋藩に移封され、秋月藩は福岡黒田藩の支城となりました。

 その後も両家は交流があり、秋月藩第4代藩主黒田長貞の娘春女は、高鍋藩主秋月種美に嫁ぎ、第7代種茂や次男治憲を産みますが、この治憲が米沢藩上杉家の養子となって、上杉鷹山を名乗り、倒産寸前の藩財政を立て直すと共に、殖産振興を図り、領民を慈しみ、当時東北地方を襲った天明の大飢饉でも、一人の餓死者も出さなかつたといわれる名君であります。

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

は鷹山が残した家訓であり、ケネディ大統領の有名な就任演説

「Ask not what the country can do for you, but ask what you can do for your country」

も鷹山の言葉を借りたものと言われています。

 緒方春朔を藩医にとりたて支援した黒田長舒は、上杉鷹山の実兄である高鍋藩第7代藩主秋月種茂の次男で、上杉鷹山は叔父にあたりますが、秋月黒田藩の先代が天然痘に罹り18歳で早世し跡継ぎがいなかったため養子として迎えられました。実に、高鍋藩に移封されて以来、約200年振りに秋月氏が復活したのです。

 以上のような関係で、現在も朝倉市と宮崎県高鍋町は姉妹都市として交流を続けています。

 私は、緒方春朔について、約10年前に朝高同期の永松勝文君(現在愛知県在住)から教えていただき初めて知りました。

 故郷でもあまり知られていなかった緒方春朔の偉業を、これまで約40年間に亘る発掘研究によって、その成果を次々に出版され、初めて人痘種痘を実施成功した2月14日を我が国の「予防接種記念日」に制定される等、全国的に有名にされた、甘木の富田耳鼻咽喉科医院の富田英壽理事長様(1937年生)のこれまでのご尽力に深く敬意を表させていただきます。  

 今回、この寄稿文を書くにあたり、富田様から直々に、ご自書「予防接種は秋月藩から始まった」をはじめ諸資料を贈呈いただき、これを参考に書かせていただいた次第です。

 富田様からのメールによると、緒方春朔人痘種痘成功230年を記念しての「緒方春朔特別展」が、秋月博物館で来年1月23日から3月14日まで開催される由ですので、皆様に於かれては、帰郷の際に是非訪れられることをお勧めいたします。

2020・10・5

13回卆 日野 斌 

(初代古処会委員長)