第18回 お江戸さるき会
2018年最後の「お江戸さるき会」です。17名、完全防備?で品川駅高輪口からスタートです。
まず立ち寄ったのは「東禅寺」。
裏道を抜けて
伊皿子坂を通って
←何を見ているのでしょう?
討ち入りの日から処分が決まらず浪士たちは分散、4家の大名たちに預けられていた。(松平、毛利、水野、細川)うち、大石主税・堀部安兵衛ら10士が預けられていた松平家中屋敷(現イタリア大使館)には1939年時の大使の意により碑が建てられている。 さて、上記は細川家下屋敷内。2月4日のその日まで当主綱利は二汁五菜(武士の正式な食事)、菓子、夜食、酒など衣類やお風呂にいたるまで浪士ではなく義士として客分扱い厚遇したそうです。

幕末安政6年(1859)最初の英国公使館が置かれた場所。臨済宗妙心寺派。伊達家、池田家(岡山藩主)などの菩提寺でもある。
高輪消防署 二本榎出張所
緩やかな坂を通りメインの泉岳寺に到着。義士たちの墓所に線香をあげて・・ トイレタイム

ここです!。→
赤穂浪士大石内蔵助良雄ら17名が切腹した場所。
17士切腹後(1人5~6分)、場を「17人は守り神である。清めるに当たらず」と言ったそうです。
さて、それでは、と次に訪れたのはすぐ近くの
参加者皆はじめて!の「旧細川邸のシイ」。樹齢300年以上の
高輪コミュニティぷらざのEVを借用して移動。清正公(覚林寺)へと。ポツポツと雨が・・

1858.7.29に締結された日米修好通商条約。初代アメリカ総領事のハリスの秘書兼通訳として
ようやく有栖川公園
公園沿いの南部坂もそこそこに雨の中、「忘年会会場」へと急ぎ足。
←目黒川冬の夜桜
すだ椎。幹周8.13m、樹高10,8m。1981年に外科手術が施された。
旧服部ハウスの右脇の坂を通り三光坂から古川橋を渡りフランス大使館隣「光林寺」へ。
ハリスとともに24歳で来日(オランダ人)。1861.1.16麻布中の橋で薩摩浪士に殺害される。
4年の滞在、日本大好き28歳だったヘンリー・ヒュースケンの墓石。
斜め前には、東禅寺イギリス公使館で働いていたボーイ伝吉の墓。
ここからがさらに驚く!
日向高鍋藩秋月家の6代~9代藩主の墓所でもありました。
左から龍光院(六代種美)、法観院(七代種茂)、泰雲院(八代種徳)、俊徳院(九代種任)
☆元々筑前秋月の地頭だった秋月家。秀吉の九州征伐により日向(宮崎)に配される。
初代種長、6代目種美(たねみ)の次男は米沢上杉家養子「上杉鷹山治憲」となる☆
雨は本降りとなりました。
18回目にしてお江戸さるき会初の雨です。さて困りました。傘がない!寒い!
すぐにショートカットをすることを決めてランチ会場広尾駅を目指し始めました。
ところが新坂をだらだら上ること半端ない!!
上記銅像は「有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)」
14代将軍家茂の妻となった和宮親子内親王の元婚約者。1871~1872まで福岡県の知事!。日本赤十字社初代総裁。
みんなで「えぇ!! 福岡県知事!?」
忘年会は3名増えて1人減りの19名で。赤穂浪士に因んだクイズ20問や皆勤賞、ほぼ皆勤賞、参加賞などなど
、「飲み放題」で「騒ぎ放題」で。今年の暮れも終わりに近づいて・・皆さま、お疲れさまでした。ありがとうございました。
2019年もまたまた「お江戸さるき会」楽しんで参りましょう!!
☆今月のおまけ☆