第16回 お江戸さるき会
↓行人坂を下りすぐの左手「大円寺」、「明和の大火」の火元となりました。
↓「ホテル雅叙園東京」のエントランス手前に小さな古井戸あり
太鼓橋を渡り権之助坂から「大鳥神社」。11月お酉様の準備中。
↑皆さん、集合時に着ていた上着を脱ぎ始め「暑いよねぇ!」
なだらかな上り坂「金毘羅坂」の途中「目黒寄生虫館」を横目に(入館無料ではありますが(昼食前なので!)スルー。目黒競馬場跡(明治40~昭和8。後に府中へ移転)の外周の道から蟠龍寺(バンリュウジ)。おしろい地蔵に興味津々。
山手七福神の一つ、岩屋弁財天が祀られているが「出世開運」も記されていました。

↑ 自筆 翌10月28日は「甘藷先生祭」
青木昆陽、1698年日本橋魚屋・佃屋半右衛門の一人息子として生まれる。儒学を学び1733年南町奉行・大岡忠相に
取り立てられ8代将軍吉宗から甘藷(さつまいも)栽培の命を受ける。(小石川植物園)天明の大飢饉では多くの人々
の命を救った。
「子供の頃にもうイヤというほど芋ばっかりだった」「うちの父も一生喰わん!と言う」等々の会話が弾む。
不動公園トイレタイムの後は林試の森公園を目指します。
林試の森公園は明治33(1900)に農商務林野整理局が目黒試験苗園として昭和53年まで使用。
筑波へ移転した跡地を平成元年6月1日より都立林試の森公園として開園。東西に700M、南北に250M。
三折坂、結構厳しい下り坂ですがいい坂です。(逆は辛い)
椎の実や柏の実(どんぐり)を踏みながら公園の外へ出ると目黒不動尊(龍泉寺)へ。
☆江戸五色不動尊:目白不動、目赤不動(本駒込)、目青不動(世田谷)、目黄不動(三ノ輪)、目黒不動
天海僧正(家康時代)が江戸城を守るために鬼門方向に設けた。
☆日本三大不動尊:木原不動尊(熊本県)、成田不動尊(千葉県)、目黒不動尊
↓西郷隆盛が当時、薩摩藩主斉彬の急病で病気回復祈願で参詣。「命に替えて祈願をこらし昼夜祈り入り事に
御座候」と友人に文を送る。
家光が鷹狩で大事な鷹が行方不明になったがこの不動尊に祈願するとたちまちこの松に戻ってきたという。↑
男坂をバックにメンバー、いい笑顔です♡
↑「独鈷(トッコ)の滝」。このお寺を開いた慈覚大師が独鈷を投げたら
たちまち泉が湧いた、とか。メンバーの数人が「聖願鉢」にコインを
投げましたがK氏見事に!でも、おしゃべりしながら投げたので・・・
☆白井権八とは。
第7回お江戸さるき会でさるいた浅草・源空寺に幡随院長兵衛の墓がありましたね。
歌舞伎にも登場しますがこの長兵衛が籠の中から見かけた美青年権八に「お若けぇの、ちょいとお待ちなせ
ぇや!」「待てとお止めしなされば、拙者のことでござるか。(中略)雉も鳴かずば射られまいに。」と 名セリフ。
この権八、島根の武家の嫡男。父の同役を殺害、江戸逐電中に吉原遊女小紫と馴染みに。金に困って
強盗殺人を繰り返したが自首して鈴ヶ森で処刑される。そのあと追いで小紫自害。
比翼塚を後に五百羅漢寺を素通り!して海福寺。小さな寺ではあるが。
↑海福寺 宗祖隠元禅師(そう、インゲン豆元祖の隠元禅師が深川に開創。
明治末に移転。山門、四脚門は明治後期に上落合から移転。

さて、徳川2代将軍秀忠は歴代将軍の中で唯一側室を持たなかったと言われています。その「影の女性」
に徹したと言われる、保科正之の母・お静の方がその正之の将来を案じて何体もの仏像を寄贈したのが
「蛸薬師成就院」です。↓
↓安養院
ユニークな阿吽の狛犬に迎えられて。
いい塩梅にお腹も空いて喉も渇いて参りました。さすがに7月8月の酷暑とは違って我慢もできる時間帯ではありますが・・。
不動前駅前の中華屋で更なる至福なり!の第16回お江戸さるき会終了です。
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第17回お江戸さるき会は11月24日(土)、谷根千コースです。
<おまけ>
かむろ坂の由来
