東京朝倉同窓会

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【活動報告】第52回 お江戸さるき会

<第52回お江戸さるき会>
予報通り集合時間からすでに26℃!(解散時15:00前には28.8℃)
7月上旬の気温とあって季節先取り(笑)
幸いにして今回のコースはイレギュラーで室内&木陰の2か所のみ


 2024年5月18日(土)
JR御徒町駅北口で先ずは18名揃って和智先輩のリードでスタート前のストレッチ
春日通りを15分ほど行って脇に入ると旧岩崎邸庭園チケット売り場に着く
緩やかな坂を上って邸庭園はやや小高い位置にある 取りあえず集合写真


三菱財閥
創始者岩崎彌太郎といえば2010年大河ドラマ「龍馬伝」も記憶にあるが1878年に彌太郎が敷地を購入
1896年三代目当主(彌太郎の長男)の本邸として造られた
当時は約1万5千坪(49586.7㎡)現在その3分のⅠの敷地
庭園は江戸時代高田藩(現新潟県内)榊原氏、明治初期は舞鶴藩(現京都府内)牧野氏の屋敷だった

戦後GHQ接収、返還後は最高裁判所司法研究所等経て1969年から1999年までに建物と敷地全体が国の重要文化財となる
全面公開は2003年からと日はまだ浅い


和洋併置式と表現される、洋館と和館、撞球室が見学できる
撞球(どうきゅう)?当時としてはなんと洒落ている「ビリヤード」だそうだが雨の日用に洋館と地下道路で繋がっている山小屋風の木造建物(今回は外観だけで過ぎる)

鹿鳴館でも有名な建築家ジョサイア・コンドル(当時30代半ば、のちの三菱顧問)が手掛けた洋館
※館内は撮影禁止なので画像なし
1Fの客室で見上げた天井は日本刺繡の布張り各部屋にはそれぞれ違う暖炉もある
階段は日本初の吹き抜けだとか

金色にぐっと浮かぶ唐草模様の金唐革紙(きんからかわし)の壁紙には思わず顔を近づけて見るほど
近唐革紙とは和紙に錫箔を貼って版木で凹凸をつけて彩色を施す技法という説明文があった

この洋館は客用として使われたようだがすべて「見えるところにおもてなしを」という思いらしい

2F南側のベランダに出てみた
180度パノラマの正面には芝生の庭や彌太郎が好んだという様々な形態の石あり

コンドルは「建物から庭を眺める」という日本人好みに拘ったらしく、また都会の喧騒からの別世界の如く静かな時間に正午前のキラキラ差し込む陽射しは暑くも心地良かった

書院造りでもある和館は大河喜十郎棟梁が手掛けたが和館との渡り廊下は船底天井
居住用として造られ当時の14室から3室が残る

和館からの出口となり大きな大きな手水鉢ありの庭先で集合写真  

             背の高い樹が多い庭園
ここで岩崎邸を後にして恩賜上野動物園を目指す

不忍池を通り「弁天門」から入園

1882年上野公園博物館の付属施設として農商務省所管で日本初の動物園開園
1924年昭和天皇のご成婚記念として東京市に下賜「上野恩賜公園動物園」となり1947年「東京都恩賜上野動物園」と名称変更

   先ずはペンギン

ハシビロコウ は鳥インフルエンザ予防のため奥の自室に!会えなかった

親子3頭/中央奥が父さんヒナタ13歳
バックスタイルは母さんリンゴ9歳
奥が娘のヒカリ4歳
リンゴが産後育児放棄をしたため母子同居は21年から。それまで人工哺育のヒナタ
上野動物園のキリンはこの3頭だけで飼育環境で約20年寿命の草食動物

リンゴ   


 ヒナタは網柵で隣室扱い(笑)
コビトカバ/モトモト♂10歳(画像なし)はジャイアントパンダとオカピで世界三大珍獣と呼ばれている(絶滅危惧あり)

     
シロクマくんはまるでファッションショーのランウエイのごとく見事に歩く!褒めたい!

アジアゾウ/♀2頭♂1頭 草食動物の仲間

飛べるのに飛ばない・屋根がなくても逃げない/それはフラミンゴが飛ぶには25m以上の長い助走を要しその距離がここに無いから
喉も渇きお腹も空いたのでトラはスルーして東京都美術館の横を抜けてランチへと急ぐ(笑)
久方ぶりの動物たちとの出会いと新緑の薫りと樹々の間から漏れる初夏の(真夏日?)陽射しと
やや汗をかいた身体にスッーと吹きかかる風
ということでゆったりとのんびりとした「第52回お江戸さるき会」だったな  
そしておチビちゃん連れの家族たちであふれる動物園だが上野公園散策からの美術館巡りに併せて親の手を離れた中高生、子どもの手が離れた両親、孫の手も離れたシニア、そんなカップルたちの「大人の穏やかデート」のオススメスポットだと思うがいかがかな            記 橋本